マンガと私シリーズ#1
・たぶん、趣味として最も長く途切れなく続いていたのが「マンガ読」。それこそ精通前よりあるので自慰より長い。モノゴコロついたとき家庭用もアーケードでもヴィデオゲームはなかったのでそれよりも長い。ヴィデオゲームありきからはじまった趣味音楽鑑賞なのでそうならない。特撮やアニメもあるが、それらは途切れている時期もある。活字だけの本もマンガよりあとだ。なんとなれば「友達と遊ぶ」ってのですら途切れてる。
・つまり、ずっとおれとともにあったのはマンガだけ。もはや、親よりもつきあいが長い。
・そのはじまりはいつなのかは最近の記憶力セガサターンのパワーメモリーなみのおれには難しい。
ということなので、さしあたり環境から語っていきたい。
マンガを読む手段
・中華料理系町食堂の子どもだったので、家にはマンガがあった記憶がある。ただ定かではない。マンガ週刊誌はあった。その他婦人雑誌や週刊誌もあった。
・母型の祖母の家はタバコ屋を基点として、あらゆるものを売っていたコンビニエンス的な店だった。プラモデルやお菓子や文房具裁縫道具飲み物アイスなど売ってた。その中に「貸本屋」があった。TSUTAYAでもありますね。レンタルコミック。
・雑誌が主力商品だったが、古くなったりしたものは母親が譲り受けておれに預けていた。この雑誌を店に卸してたんだな。そいでコミックはおれに与えていたのかな。もちろん雑誌のマンガも読んでいたけど。
覚えてるタイトルは「フータくん」「21エモン」「モジャ公」の藤子不二雄作品と、「少年探偵JA」。少年画報社のマンガが多かったなあ。
・もう1軒歩いていけるところにも貸本屋があった。そこでもいろいろ借りた。1泊2日で70円くらいだったかな。雑誌は50円だったか。
「漂流教室」は楳図かずお氏ですね。「コケ太とタケ子」は横田とくお氏。「まかせて長太」なんて赤塚不二夫氏のもあった。
・それぞれに血肉となっているが、貸本屋特有のクセとして「全巻揃ってない」というのがある。だから、漂流教室なんか全部読みきったのはだいぶあとだったりする。前はそういうのよくあったんだわ。
・おれの住んでいる町には、書店が2軒あった。どっちも徒歩3分以内にあった。その後1軒誕生。そのほかにも、大きめのスーパーには書店があった。また、コンビニの前身のよろず雑貨屋にも令和の今のコンビニ程度には雑誌や本もあった。
・そういうなんやかんやで、瞬間風速的には6~7軒の書店はあったのではないか?いまはきれいサッパリ亡くなっている。
・そいでもって、コミックも雑誌も紐やビニールで封をすることはないので(唯一付録つき雑誌は付録ごと縛ってあったが→これはいまもそう?)立ち読みし放題だった。
・あとは電車やバスで3~40分で富山市に行くことができる。いまは笑うほどゴーストタウンになっている西町の総曲輪通りとくっついている中央通りのアーケード商店街とデパートとその周辺には10軒ほどの書店があった。なかにはビル丸ごと書店ってのもあった。だから、神保町に行ったときにもビビらなかったんだぜ。
・大きくなったら自転車でも通うようになる。そのころと同期するように「郊外型大型書店」もできるようになる。だから、行き帰りに書店にも寄ることになる。
・つまりは、天国だったわけだ。富山県はひとりあたりの書店の数も全国上位だったとか。書店だらけ状態。
・いずれもいまは見る影もない。
・でも、おかげで、本を読むようにはなるし、とくにマンガは読み倒してきたわけだ。
・本屋1軒に30分でも40分でも滞在して、はしごして1冊2冊買っていた。
・このころは、書店によっておいてあるおいてないマンガがあった。いまでもあるかな。取り扱ってる出版社とかも、それが売れ残ってるってのもあるから、書店を巡るのは宝探しに似た楽しみがある。A店になかったけどB店にはあったってね。
・それはレコード店めぐりも同じっすね。この楽しみはネットに取って代わられた。楽になったけど苦労して手に入れたって思い出はなくなるってトレードオフになったよね。痛し痒しではあるが、加齢で、体力的な問題で、「それ」が厳しくなりつつあるからちょうどよかったのかもしれない。
・今のヤングはカード屋巡りに宝探し感を見出してるんかしらね。
・次回は思い出せる範囲でなにを読んできたか書きます。
・近頃は減りきった書店がまた復活しつつありますね。おれも書店に顔を出そうとは軽く思ってます(読む本がありすぎるのよ)。